記憶能力にも旬がある。大人のエピソード記憶を支えるための情報処理能力というのは、小さいときに作られてしまう。情報処理能力が固まってしまったあとに、記憶容量が増えても、新しいネットワークを作る余裕がなくなってしまう。語学習得などが年をとってからでは難しいというのは、ネットワークが固まってしまっているからなのだ。だから、幼児期に、子どもが興味を持っている限りにおいては、どんどんものを覚えさせても構わないのである。このように、記憶力は小さいときの刺激が少ないとネットワークができあがらず、大人になってから刺激を与えても発達しにくくなる。意味記憶とは、基本的には辞書的記憶と言うべき一対一対応の記憶だ。この子ども時代の記憶の辞書を意味記憶として完成させておかないと、応用力、つまり理解力は発達しない。この記憶力と結びついた理解力こそ教養だと言える。こうして考えても、小さいときに教育における多様性を制限してはいけないということが理解していただけるだろう。だから、真の教養を身につけるためには、幼児期からの教育と絶え間ない訓練(プラクティス)が必要になる。ところが日本では、ここ10年の間特に、勉強ができる人間をバカにするような雰囲気が育ってきた。「学校完全週5日制」や「学習内容3割削減教科書」が、子どもたちの学力低下を本当にもたらしそうだと、家庭が気づき始めた2001年の夏休み以降、情勢に若干の変化が生じたとはいえ、一生懸命勉強をしても役に立たないと思わせるような風潮はいまだに世の中に残っている。しかし、人間の普通の勤勉さや努力、誠実さや正確さというものが軽視されるときは、文化そのものがおかしくなっていると気づくべきだ。